瀬田駅 瀬田の唐橋最寄駅
滋賀県の南部に位置し大津市の一地区にある瀬田。
大津市の一部になる前の旧栗太郡瀬田町であり
古くは勢多、勢田とも書いた。

名の通り瀬田川のほとりに位置し
東海道から京都へ入る重要な交通の要衝であった。
現在も琵琶湖線と呼ばれる東海道本線や国道1号をはじめ
旧東海道、東海道・山陽新幹線、名神高速道路、
京滋バイパスといった交通の重要幹線網が多く走る。
近江八景の一つ「瀬田の夕照」で知られる瀬田の唐橋。
この橋は旧東海道に架かっており『日本書紀』
天武1年(672年)7月の壬申じんしんの乱の条に記され
清少納言の「枕草子」には「橋は瀬田橋」とある。
現在の橋は1979年(昭和54年)に付け替えられたもの。
擬宝珠などにかつての姿をしのばせる。
橋の南東詰には田原藤太秀郷を祀る橋守神社。
このほか近江一宮の建部大社や背後の丘陵地には近江国庁跡。
また丘陵地には県立近代美術館、滋賀医科大学、
龍谷大学瀬田キャンパスなどの多くの文化施設がある。
現在の瀬田駅周辺部分に該当する区間の
東海道本線が開通したのは1889年(明治22年)。
東海道本線が全通したときのことであった。
当時は馬場から草津の間に停車場は無かった。
1900年(明治33年)7月、栗太郡瀬田村は逓信大臣に対し、
この馬場~草津間の停車場として
南大萱への停車場設置を請願した。
しかしこの停車場設置の請願は採用されず、
馬場~神戸間の複線化が完成した翌年の1903年(明治36年)に
石山駅が先に開業する事となった。
結局瀬田駅設置へと話が進むのは、それからずっと先になった。
半世紀近く後の昭和44年のことである。

瀬田駅設置へ向かうきっかけになったのは、東海道新幹線の建設であった。
東海道新幹線は瀬田町(当時)を通過するルートとなっており、
1960年(昭和35年)に地元に対して立ち入り測量の了解を求めた。
これに対して地元は、当時の平均国鉄駅間距離が4kmに対し
石山~草津駅間が7.7kmである事などから、
測量協力の代償として瀬田駅開設を強く主張した。
この請願に加え、当時の東海道本線では輸送量の逼迫などから
1966年(昭和41年)から瀬田川橋梁工事をはじめとした
京都~草津駅間の複々線化工事が行われていた事から、
この工事と関連して行う形で地元念願の瀬田駅新設が決定された。
当初の開業予定は1970年(昭和45年)3月だったが、
地元の熱意で1969年(昭和44年)8月に繰り上げて開業する事となった。
この瀬田駅は請願駅の為、工事費1億1800万円は
地元の瀬田町(1967年の合併により大津市)が引き受ける事となり、
企業からの寄付や滋賀県の補助・大津市の市債によって賄われた。
ちなみに同じような経緯で開業した東隣の南草津駅は
1994年(平成6年)に開業した。
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大津市の一部になる前の旧栗太郡瀬田町であり
古くは勢多、勢田とも書いた。
名の通り瀬田川のほとりに位置し
東海道から京都へ入る重要な交通の要衝であった。
現在も琵琶湖線と呼ばれる東海道本線や国道1号をはじめ
旧東海道、東海道・山陽新幹線、名神高速道路、
京滋バイパスといった交通の重要幹線網が多く走る。
近江八景の一つ「瀬田の夕照」で知られる瀬田の唐橋。
この橋は旧東海道に架かっており『日本書紀』
天武1年(672年)7月の壬申じんしんの乱の条に記され
清少納言の「枕草子」には「橋は瀬田橋」とある。
現在の橋は1979年(昭和54年)に付け替えられたもの。
擬宝珠などにかつての姿をしのばせる。
橋の南東詰には田原藤太秀郷を祀る橋守神社。
このほか近江一宮の建部大社や背後の丘陵地には近江国庁跡。
また丘陵地には県立近代美術館、滋賀医科大学、
龍谷大学瀬田キャンパスなどの多くの文化施設がある。
現在の瀬田駅周辺部分に該当する区間の
東海道本線が開通したのは1889年(明治22年)。
東海道本線が全通したときのことであった。
当時は馬場から草津の間に停車場は無かった。
1900年(明治33年)7月、栗太郡瀬田村は逓信大臣に対し、
この馬場~草津間の停車場として
南大萱への停車場設置を請願した。
しかしこの停車場設置の請願は採用されず、
馬場~神戸間の複線化が完成した翌年の1903年(明治36年)に
石山駅が先に開業する事となった。
結局瀬田駅設置へと話が進むのは、それからずっと先になった。
半世紀近く後の昭和44年のことである。
瀬田駅設置へ向かうきっかけになったのは、東海道新幹線の建設であった。
東海道新幹線は瀬田町(当時)を通過するルートとなっており、
1960年(昭和35年)に地元に対して立ち入り測量の了解を求めた。
これに対して地元は、当時の平均国鉄駅間距離が4kmに対し
石山~草津駅間が7.7kmである事などから、
測量協力の代償として瀬田駅開設を強く主張した。
この請願に加え、当時の東海道本線では輸送量の逼迫などから
1966年(昭和41年)から瀬田川橋梁工事をはじめとした
京都~草津駅間の複々線化工事が行われていた事から、
この工事と関連して行う形で地元念願の瀬田駅新設が決定された。
当初の開業予定は1970年(昭和45年)3月だったが、
地元の熱意で1969年(昭和44年)8月に繰り上げて開業する事となった。
この瀬田駅は請願駅の為、工事費1億1800万円は
地元の瀬田町(1967年の合併により大津市)が引き受ける事となり、
企業からの寄付や滋賀県の補助・大津市の市債によって賄われた。
ちなみに同じような経緯で開業した東隣の南草津駅は
1994年(平成6年)に開業した。
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